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  • 執筆者の写真tidanomiyuki

tidanomiyuki になるまで

更新日:2021年1月16日



大学の頃、組んだオリジナルバンドにつけた名前が「ティダ」でした。

ドラム、ベース、ギター、キーボード、サックス、トロンボーン、トランペット、ボンゴなどのパーカッションも加わった大所帯のバンドでした。


今思うと音楽は、楽器が増えれば増えるだけどう構成していくかがとても難しいと感じるのですが、当時は全てが必要不可欠で、かけがえの無いものとなっていました。

あの時感じていた、とても自然で流れるように音楽をしていた心地よさは、今も大事な宝物として心の中で鮮明に甦ります。


大学を卒業した後もその熱は冷めず、またみんなでバンドをしたいと考えていました。


沖縄に帰ってきた後もその思いを残したまま、音楽活動をスタートさせました。


続けていれば、どこかでまたみんなに繋がれるんじゃないかという思いもあり、「ティダ」という名前で活動をしました。


ステージで、「こんばんは。ティダです。」と話していると、 いつしか「ティダちゃん」だったり「ティダさん」と呼ばれるようになりましたが、

そう呼ばれる度に自分の中では違和感がありました。


例えば、くるりの岸田さんが、周りから「くるりさん」と呼ばれるような感じでしょうか。 (くるりのみなさん、勝手に名前を出してしまってごめんなさい。とても好きです。「その線は水平線」が最近のお気に入りです。)



なので、


本当ならきっと、ステージに立った時に


「こんばんは。ティダというバンドは今はできないけど、ティダというバンドがやりたくてしょうがない、ティダのメンバーの仲原美幸(本名)です。」


と初めから言えたら、自分と出会う人たちとのギャップはなかったんだろうなと思います。


同じ頃ラジオに出ることがよくあったのですが、見てる人からすると、

あの子は「ティダ」なの?「なかはらみゆき」なの?

一体なんなの?状態だったと思います。



一度、沖縄でバンドを新たに組もうと動き出した時期がありました。


メンバーを集め、スタジオでの初合わせで、ポップなバラードの曲がロック調に変わったのを聞いて、すぐにまた「ティダ」を作り上げることをあきらめました。


「ティダ」はあきらめたのですが、その後ロックバンド(「BIG BOOS」という名前で)を始めることになりました。


自分が書いてきた曲とはほど遠い、ロックミュージック。

でもかっこいいロックは好きだったので、挑戦することにしました。


ロック調の曲も書けるようになりました。

歌い方も変えて、飛び跳ねました。

ロックバンドのステージ動画を見て、真似たりしました。(頭は振り回していません)


好きになってくれる人たちもいて、精力的にライブを行っていました。

試行錯誤をしながら、応援してもらえるのも嬉しくて、続けていました。


けれどなぜかやればやるほど、頑張れば頑張るほど、だんだんと辛くなってきました。


好きな音楽のはずなのに、なぜかとても心が苦しい。


涙が出るほど、苦しくなってきました。



今になって、きっとそれは、自分らしくなかったからだったんじゃないかと思います。

当時はそれに全く気づけず、ただただ自信を失っていくばかりでした。


そしてついに、心が砕け散った2014年。


砕け散った後に気づいたことがありました。


今までずっと、自分の足りないところを誰かに埋めてもらおうとしていたということ。


自分一人ででできることをやらずにいたこと。



ふつふつと、消えかかった心の火がまた灯り始めました。


もっと強くなろうと心に誓いました。


なりたい自分が見えてきました。



自分の音楽を自分で作らないで、誰が作るんだ。


そんな気持ちで辿り着いたのが、tidanomiyuki です。


好きなこと、やりたいことを見失わずに、歩んで行こうと思います。



回り道が多く、不器用な私ですが、


どうぞ末長く、よろしくお願いします。


tidanomiyuki

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